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「はやぶさ」にはまって以来、YouTubeやニコニコ動画で「はやぶさ」の応援映像(「こんなこともあろうかと」のアレです。完結編はこちら。)を何度も観ているうちに本家「宇宙戦艦ヤマト」の方も観たくなって、まとめてDVD借りてきた。
といってもテレビ版につき会う時間の余裕はないため劇場版だけだけど。

僕はヤマトはリアルタイムじゃないわけではないけど、さほどファンだったわけではない。
ガンダムにはかなり入れあげたけど、ヤマトはそんなに熱心に観たわけでもないので、特に思い入れはなく、実はあまりストーリーも知らないんである。

で、とりあえず劇場版だけを借りてきたわけだけど、タイトルは以下のとおり。

『宇宙戦艦ヤマト』
『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』
『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』
『ヤマトよ永遠に』
『宇宙戦艦ヤマト 完結編』
『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』

『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』だけはテレビ特番用みたいだけど、一応この中に入れときます。

ご覧のとおり、「さらば」「永遠に」「完結編」とどれもこれが最後みたいな単語が入ってるので、何がどうなってんだ、と昔から思っていたけど、借りたときもどの順番で観たらいいんだ、と考え込んでしまった。

あらためて見直すと、最初のファースト・ヤマト(こういう言い方はするんだろうか…)は観た記憶がない。
土の中からヤマトが出てくるシーンと包帯ぐるぐるの沖田艦長のシーンは観たことあるような気がするから、一応ちらりと観たことは観てるんだろうけど、絵も荒いし当時の劇画風タッチは印象が薄い。

『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』はその後に作られた『宇宙戦艦ヤマト2』の元話らしいけど、とすれば、僕の記憶にあるのは、テレサや白色彗星、アンドロメダに乗ってた土方艦長を覚えている「2」の方みたい。
どうりでイスカンダルが何なのか、わかんなかったはずである(爆)

テレビ版の『宇宙戦艦ヤマト 新たなる旅立ち』とその続編の劇場版『ヤマトよ永遠に』は、おそらく初見。
山南なんて艦長は初めて知った。

で、どれがほんとに最後だったのか分からなくしてくれた『宇宙戦艦ヤマト 完結編』。
これ実は、最後の沖田艦長の「お前を坊ヶ崎の海底に連れ還してやりたいが…」という台詞だけはなぜか記憶にあった。
テレビで観たんだと思うけど、おかげで沖田艦長、死んだはずなのにまた出てる、てなことで、時系列がわからなくなっていたんである。

でもおかげですっきりした。
こういう話だったんですね。

で、律儀な僕は『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』まで借りてきた。
実写版の噂は結構前からネットで見たことがあったけど、「復活篇」の方は公開された後、ラジオで紹介されるまで知らなかった。
なんでこんなにヤマトの新作がでてくるんだろう、と不思議に思う反面、観るのも不安だった。

冒頭で石原慎太郎の名前がクレジットされてるから、余計に先入観持つのかもしれないけど、多分に政治色が濃い。
それもかなり結論ありきの。
BGMもなぜかクラシックで、マーラーの「復活」は「復活篇」だから?と 思っていたらチャイコフスキーの「スラブ行進曲」やらグリーグのピアノ協奏曲やらベートーヴェンの「皇帝」やら、「銀河英雄伝説」かと思った。
クラシックファンの僕も首をかしげる選曲。

それでも、時代が違うし、と思って観ていたけど、ゴルイ提督が出てから引いてしまった。

たしかに僕は、ヤマトファンだったわけではない。
「熱い」というより「暑苦し」く「押しつけがましい」演出に入り切れなかったからだろう。
主題歌以外の挿入歌も演歌みたいで、あまり好みでもない。
改めて見直してもやっぱりそう思った。

でも、それでも、人智を超えた未曾有の危機に対する反応として、本来ならやりたくなくてもやらざるを得ない、という状況下での葛藤がしっかり表現されていたと思う。
「さらば」のラストは、松本零士が嫌ったように特攻の美化といってしまえばそれまでだけど、それは、人智を超えた事態だからこそ、人間の思想など構ってられないという哀しさでもある。

それが観る側に伝わったからこそ、今でも大勢のファンがいるほど、人を引きつけたんだろうと思う。

が「復活篇」の方といえば、この舞台のモデルは戦前のアジアではないのか。
武力を持って植民地支配していたSUS=欧米列強、資源を提供するかわりに庇護されるアマール=アジア諸国。
そこから独立しようとする国とその民衆を助けるヤマト。
この構図は、まるきり、アジア解放を謳って戦争に踏み切った戦前の日本を取り巻く状況と酷似している。
念頭にあったのは間違いあるまい。

やりたかったのは「大東亜戦争補完計画」!?

もっとも悪しき勢力には屈しない、というのは、ガミラスに対するスターシャ、白色彗星に対するテレサもそうだったし、構わない。「さらば」のデスラーも然り。
むしろ子供も観るであろうアニメならそうでなければ困る。

なのに、何だろうこの気分の萎えは。
前のヤマトは、子供心にも変だと感じたSF設定も、フェミニズム的にどうなのかと思えるほど神々しいまでのヒロインも、それは楽しいものだった。

残念ながら、美しいCG映像には敬意を払うが、大人の政治的価値観の演出があまりにも直截的で、かえって卑小な世界観に思えて仕方がなかった。

実写版のヤマト、製作は西崎義展らしいが、キャスティングといいコンセプトといいあきらかに「復活篇」と正反対の方向性だ。
みんなでヤマトで何をしたいんだろう。