嵯峨雅彦 Masahiko Saga Web Site

嵯峨雅彦 デジタルアート・イラストレーターのポートフォリオサイト

Masahiko Saga Weblog

最近足を向けることが少なくなったCDショップに行き、これまた素通りすることの多かったJ-POPのコーナーに行って川村カオリのCDを2枚買ってきた。

アルバムの「K」とシングルの「バタフライ」。
「バタフライ」は「K」にも入っているんだけど、なんせカップリングが僕の大好きな「金色のライオン」のセルフカバーだっだのでむしろ、この曲が一番楽しみで買ってきたようなものだった。

うわ、全然変わってない、この人。
シンプルなアコースティックのギターに軽くはずむようなリズム、押しつけがましくないまっすぐな歌詞とボーカル。
これは「川村カオリ」じゃなくて「川村かおり」だ。
これは制作陣が「川村カオリ」というアーティストを良く知ってるからできたことなんでしょうね。

一度活動停止して、「SORROW」として再活動したとき、こういうサウンドがやりたかったんだ、としたら
ひょっとして、カオリさん本人は、当初のフォークっぽい音楽は好きではなかったんじゃないか、と思った。
レコード会社の都合でやりたくない音楽をやらされていたんじゃないか、少々疑問に思った。
本人が好きなものが評価されず、嫌々やったものが受けるなんてことはよくあることとはいえ、とすれば、その頃の「金色のライオン」や「Saturday Night」が好きだった僕としては、ちょっと虚しく感じたのも事実。

96年の「BEATA」というアルバムは90年代の最高傑作、と僕なんかは思ってるけど、これなんかはちょうど「川村かおり」から「SORROW」への橋渡し的なサウンドだったので、これも愛聴盤にして帳尻合わせしてたけど、今回の「K」を聴いて「川村かおり」も健在やん、とちょっと安心。

最近は、といえば乳ガンの啓発活動でメディアに露出することが多く、それで川村カオリを知った、という人も多いかも知れない。
僕はカオリさんとは同世代で、20年近く前、たまたま夜中につけたラジオから若い女の子の声で、ソ連大使館がどうこう言っていて何じゃこりゃ、と思って聴き出したのが最初。

最終回にはファンが放送局に押しかけ、「カワムラー!」と叫ぶヤツが大勢。えらいことになってんなあ、とラジオの前で思っていた。
翌年アメリカに語学留学したとき、あるクラスで一人の日本人男性と一緒になった。
そのクラスでは、日本人の男子学生は僕と彼の二人だけだったので必然的に仲良くなったら、なんと、その放送局の前で騒いでいた中の一人だった。
つまり、何ヶ月か前にラジオを通して彼の声を聴いていたかもしれないんですねえ。

日本にいても会わねえよ、そんなヤツ…。

彼がカオリさんのベスト盤「Church」を持ってきていたので、図らずもアメリカで川村かおりを聴くことができ、「Church」を聴くとその頃のことも思い出してしまう。
残念ながらライヴはいったことがなく、クラブイベントでDJをしてるとき一回いったきりだけど、ずっと気になっているアーティストだ。

カオリさんの曲は眠れずに明けた朝方なんかに聴くと妙にはまってしまう。
「Saturday Night」の歌詞の影響かな、と思っていたけど、「川村かおりのオールナイトニッポン」は午前3時から5時まで。
つまり僕にとっては川村かおりは深夜から夜明けに聴くことが多かったからというのも理由かもしれない。
いや、刷り込みってのは怖い。

現在、ガンの再発で僕が考えているよりはるかに大変のはず。
カオリさんとは比べものにならない根性なしの僕が安易な励ましなどおこがましいにも程があるというもの。
でもこの人には「弱冠50歳!」って叫んでほしいですね、