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多額の滞納金が問題となっている日本学生支援機構の相談窓口に電話が殺到してつながらない、というニュースがあった。
旧育英会の奨学生で、現在返還中の小生より一言。

現・日本学生支援機構の未回収金の額面は2253億円にものぼり、このうち約130億円は、卒業後の奨学生の住所などを機構側がちゃんと管理できていなかったことが原因、となっているらしい。
とはいえ、それは「負債」総額の1割にも満たないわけで、ここまで滞納が膨れ上がるまで、旧育英会は何をしていたのか。

父親が障害者だったこともあって第1種を受けていた小生であるが、正直、旧育英会に良い印象はない。
奨学生には、「資格確認」といって、毎年1回(だったと思う)大学の奨学金担当の事務室に出向き、何やら手続き(どういうものだったかは忘れた)しなければいけないのだが、学内の掲示板に貼り出されていたのを一度見落とし、忘れていたら、本人すっ飛ばして親の方に連絡がいき、「この手続きわすれるということは、奨学金いらんのかなぁ」と嫌みったらしく言われたあげく、さらにこのことまで再度親の方「厳しく言っておきました」と電話するという念の入り用。

また、これは奨学会の問題ではなく、うちの大学の事務員の質の問題かもしれないが、担当の事務員は最初のオリエンテーションの際に
「奨学金もらっている立場なんだから、バス・トイレつきのマンションではなく木造のアパートに住むように」
などとさも奨学金を必要としている学生を見下したように言ったときは、ほんとに木造アパートに住んでいた僕ですら「余計なお世話だ」と甚だ気分が悪かった。
別にギャンブルでスって、借金しよう、というのではないのだ。
事務員風情にこんなことを言われる筋合いはない。

さらに、僕の場合、返還手続きに連帯保証人が必要ということで、一番近い父方の親戚に頼んだところ断られ、母方の祖母の親戚に頼んで承諾してもらったら、高齢なので返還中に亡くなるかもしれないから、と育英会側から蹴られ、親戚といえば親戚らしいんだけど、というぐらいの関係の母の知人に頼んでやっとOKだった、という経緯がある。

そもそも奨学金をもらわなければいけない境遇の人間というのは、まず家庭に問題がある、というのが選考理由の一番であるにも関わらず、どうもそれがどういう状態であるのか、まるで認識していないようなのだ。

こんな人間にしてみれば、たかだかちょっとした不注意で手続きを忘れる程度のことで、あれだけ横柄な騒ぎ方をしておいて、奨学金の返還が滞る、という組織運営の根幹に関わる由々しき問題に対して手を打ってこなかったことに対しては、住所が管理ができていなかった、で済むか、手前の怠慢が原因だろうが、としかいいようがない。

もちろん、今の職員は当時からだと入れ替わってはいるのだろうし、窓口で苦情の電話を受け付ける人にとってはあずかり知らぬ話だろうが、残念ながら僕は同情する気はない。
ブログなんかを見ていると、現・機構の電話対応も甚だひどいのが多いらしく、連絡もとれない未返還者が多いことの腹いせに、本当に払おうとしている、連絡のとれる人間捕まえて憂さ晴らししているとしか思えない事態もあるらしい。
文句言う相手を間違えるんじゃない。

そういえば、ある質問サイトで、「十年以上奨学金の返還が滞っているので一括返済しろ、という通知があったんだけどどうしたらいいでしょうか」という書き込みがあった。
普通に考えれば、借りたんだから返さんといかんだろう、と思うだろう。
ところが、読んでみると、返す気はあったのに、通知がこなかった、というのである。
ほんとに来なかったかどうかは知らないが、確かにこれでは酷だと思う。

僕の場合、今は銀行からの自動引き落としになっているが、以前は自動引き落としというシステム自体が(確か)なかったと思う。
だから毎年、年末になると、幾らの額面をどこそこの口座に振り込んでください、という通知が育英会から来ていたのだが、これが来なければ、ほんとに払いようがないのだ。
人の不注意は偉そうに文句を言っておいて自分の不手際については何もいわない、では通らないだろう。

この組織改編があってから、さすがに機構の側もいろいろ手を打とうとしているんだろう。
未納者をブラックリストに載せる、と言い出し、これについては、京都でも抗議デモがあったようだ。
僕にしてみればどっちもどっちで、簡単に恫喝できそうな学生はいびり、少々手がかかりそう、となると追跡調査も返還要求もしない、という怠慢経営のあげくに、いきなりブラックリストはないだろう、とは思う。
が、「不況で就職できなかったらどうするんだ」という抗議する側に対し、「就職できないような人間に奨学金なんか出すな」という声がネットにあがっていたが、それもごもっともな話ではある。
(デモだのシンポジウムだのやってる暇があるならバイトしろ。)

金を最前面に考えるのは趣味ではないが、将来社会的にも経済的にも益が見込めないところに金を出すことしないだろう。
無論、ニートだろうがなんだろうが、人の人生に口出す気はないが、他人の金を使う必要はないと思う。
現在奨学金として使われる財源は僕が払っているものも含まれているんだから、この程度はいわせてもらおう。

ただ、奨学生の審査が厳しくなるかもしれないので、大学入学が全入時代を迎えた場合、家計が逼迫している家庭はますます格差の下に追いやられそうな気がして、それが一番の懸念である。